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▲阿仁ゴンドラ山麓駅
- 運行日時・・・6月8日~8月18日、毎日9:00~16;00に運行
8月24日~9月は土休日のみ運行、10月1日~27日まで運行
- 料金・・・往復 大人1,800円 小学生800円
その他詳細は、阿仁ゴンドラで行く、観る「森吉山紀行」へ
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▲ゴンドラ山頂駅(標高1,170m) |
▲アオモリトドマツと登山道 |
- 森吉山は、標高1,100m付近は、ブナ林からアオモリトドマツに変わる分岐点にあたる。山頂駅の標高はブナ林を越えた1,170mだから、スタートからアオモリトドマツ林である。
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- 登山道沿いには、シラネアオイ、マイヅルソウ、ミツバオウレン、オオバキスミレ、イワカガミ、ノビネチドリ、ゴゼンタチバナ、ツマトリソウなどの花々が次々と出迎えてくれる。花の名前を記した標識も設置してあるので分かりやすい。
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▲ミツバオウレン |
▲ツマトリソウ |
▲ニッコウキスゲ |
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▲アカモノ |
▲ミネザクラ |
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▲石森(1,308m)
- 正面に森吉山が見えてくると石森である。ここは、右に進むと森吉山、左へ進むと森吉神社・一ノ腰方面へ行く分岐点になっている。一帯は、お花畑なのだが、あいにく雪に埋もれていた。雪が解けた一部に、ヒナザクラ、イワイチョウが咲いていた。
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- 左手に森吉山を眺めながら、残雪と解けたばかりの湿原を歩く。湿原には、ヒナザクラ、イワイチョウ、イワカガミなどの花が咲いていた。
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▲イワカガミ |
▲阿仁避難小屋(1,305m) |
- 阿仁避難小屋には、水場があるが、連瀬沢の支流の沢まで下らなければならないので注意。ここから稚児平まで真っ直ぐ歩けば35分ほどだが、次々と花々が現れるので、花の撮影が好きな方は遅々として進まなくなる。
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▲オオバキスミレ |
▲ムラサキヤシオツツジ |
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▲イワカガミ |
▲イワイチョウ |
▲ウラジロヨウラク |
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▲ショウジョウバカマ |
▲ヒナザクラ |
▲チングルマ |
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▲ゴゼンタチバナ |
▲チングルマの実 |
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- 稚児平(1,380m)のお花畑・・・チングルマとイワカガミの混生が素晴らしい
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- 雪解けが早い山頂直下の稚児平では、チングルマが梅鉢形の白花を咲かせ、イワカガミとともに高山草地の礫地を占領するように群生する。湿地にはヒナザクラ、イワイチョウ、ハクサンオオバコ、モウセンゴケなどが咲く。
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- チングルマとイワカガミの咲くお花畑から、ほどなく岩石の散らばる森吉山山頂(1,454m)に着く。山頂からは、白神山地、岩木山、八幡平、南に遠く鳥海山など360度の眺望を楽しめる。ここで持参した弁当を広げて昼食を楽しむ登山者が多い。
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- 森吉山山頂には、信仰登山の名残を示す薬師仏の石像が立ち並んでいる
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▲ナナカマド |
▲タニウツギ |
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▲鶴ケ岱の大雪渓
- 山頂から山人平に向かうと、大雪渓が現れた。この雪渓は、鶴が翼を広げた形に残ることから鶴ケ岱と呼ばれている。雪渓を滑り落ちないよう、足場を固めながら慎重に下る。、この雪田には、ショウジョウバカマ、ヒナザクラ、ミツバオウレン、バイカオウレン、チングルマ、イワカガミ、ニッコウキスゲ、キンコウカなどが群生する。
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▲山人平湿原から森吉山を望む
- 山頂東側斜面、標高1,300m付近のアオモリトドマツに囲まれた大小5つの高層湿原を山人平湿原と呼んでいる。この湿原には、ミズバショウ、ヒナザクラ、モウセンゴケ、マルバダケブキ、タチキボウシ、8月に入ると、ウメバチソウ、ミズギク、リンドウが最後の花園を飾る。
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▲ショウジョウバカマ |
▲残雪とミズバショウ |
▲ヒナザクラ |
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- 山人平のお花畑・・・今年は雪が多く、山人平のお花畑は、咲き始めたばかりであった。森吉山をバックに広がる風衝礫地のお花畑は、花の百名山を象徴するベスト撮影の場所である。チングルマとイワカガミの群生は、例年なら6月中旬~下旬が見頃である。
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▲森吉山山腹のアオモリトドマツ林
- 江戸時代の紀行家・菅江真澄は、今から200年ほど前、森吉山に二回登っている。その際、モロビ(アオモリトドマツ)のきよめ火の風習や森吉大権現、大人・山人伝説などを記している。
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▲こめつが山荘(820m) |
- 菅江真澄と森吉山
菅江真澄が初めて森吉山に登ったのは1802年10月16日、阿仁町側の二ノ又から登り下りしている。「雪の秋田根」の冒頭には・・・
「(阿仁町)二の股の部落から、御岳詣でをしようと人に誘われて、森吉の山に登った。ここがこの山の麓なので、分け入るのはたやすく、登山に都合が良かろうとかねてから思っていたので、さすがに嬉しく、霜のおく山道をはるばると辿っていくと、朝日がほのかに射してきた。」
真澄は、信仰の山・森吉山に登ることをいかに楽しみにしていたかが分かる。また、3年後の1805年8月10日、案内人と二回目の森吉山登山ををしている。
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▲一ノ腰、勘助道との分岐点 |
▲一ノ腰(1264m) |

- マスタケと一ノ腰の眺望(「菅江真澄遊覧記」)
「大木のなかば朽ちている所に、マスタケが生えているといって、案内人が採ってきた。これは桂の朽木であろう。ブナの木にはエゾハリタケ・ムキタケが生える、などと語りながら、一の腰という高い峰に登ると、男鹿半島、八郎潟、能代の浦、秋田の高い山々などが眺望された。
ここを下りて、岩堂(冠岩と森吉神社)の峰に登り、神前に幣を奉った。」
- 真澄は、案内人が見つけたマスタケの絵図を描き、「鱒の魚にたとえていう」と記している。また「朝飯に、鱒の肉色をしたマスタケの料理をすすめられた。マスタケは、クリ・カツラなどの古木に生えるもので、若いサルノコシカケのようなものである」とも記している。
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▲天然盆栽のように美しいコメツガ群落
- コメツガ群落は、一ノ腰周辺には200本を越える群落があり、大変珍しいという。これが「つめつが山荘」の名の由来であろう。
- ケガレを嫌う山の神(「菅江真澄遊覧記」)・・・「昔は夏草を刈るために登る人でさえ、厳しい斎戒を守ったが、このごろになってからは、軽く精進して参拝に登るようになった。しかし、魚やウイキョウなど、匂うものを食い、女にも触れて、全く身を浄めていないものが近づくと、神が嫌って、たちまち谷が鳴り、峯に響き、空はかきくもって疾風が梢を鳴らして、その人はどこかへ吹きさらしてしまうということがあった。」
- 山の神を信仰するマタギは、山は神の領域であり、様々なタブーやケガレを払う潔斎などによって律されてきた。そのタブーを破った者は、下山させられたり、水垢離、雪垢離を取らされ、時には裸で深い雪の中に潜らされた。これは、真澄が「全く浄めていない者が近づくと、神が嫌う」という考え方と同じであることが分かる。
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▲モミジカラマツソウ |
▲ハナニガナ |
- かつて森吉山登山は「岳参り」と呼び、ケガレを嫌う風習があった。登山は、成人男子にだけ許され、登山の何日も前から魚や肉を断ち、当日はケガレる物、動物の皮で作られたバンド、財布、タバコ入れは一切身につけられなかったという。
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▲ハクサンシャクナゲ |
▲ニッコウキスゲ |
- 雲嶺峠から森吉神社の間には、ヒナザクラ、イワイチョウ、シラネアオイ、ニッコウキスゲ、ハクサンチドリ、ハクサンシャクナゲ、エゾオヤマリンドウ、タチキボウシなどが咲く。冠岩には、イワキンバイの花が咲く。
- 森吉神社を過ぎると、雪解けの遅い雪田跡には、ニッコウキスゲをはじめ、トウゲブキ、ハクサンオオバコ、ヒナザクラ、イワイチョウ、イワハゼ、イワカガミ、シラネニンジン、ハクサンボウフウ、チングルマ、ハクサンチドリなどが咲く。
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- 森吉避難小屋、森吉神社(1270m)・・・森吉避難小屋(収容人員100人)は、冠岩をご神体とする森吉神社の隣にある。ご利益がありそうな避難小屋だが、近くに水がないので注意。登山者は、様田コースの起点・こめつが山荘で水を補給し担いで登らねばならない。
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- 真澄は、森吉神社周辺から森吉山方向を眺め・・・
「この向岳(森吉山)に同じく薬師仏をおいて、森吉の神としてまつり奉ってている。・・・森吉の裾をめぐる山は広く、連瀬・丹瀬などという大きな谷は奥深く幽かで、山々は重なり合い、連なっている。森吉山は秋田郡の山の最たるものであろう。」
- モロビのきよめ火の風習(「菅江真澄遊覧記」)・・・「森吉山には、前岳、中岳(石森、1368m)、向岳(森吉山、1454m)といって、三つの峰がある。前岳に小田があり、中岳には石積みの塚がある。森吉山は一面モロビ(アオモリトドマツ)が生えている。 登った人は、必ずこれをみやげに折って下り、一年中、朝夕、きよめ火に用いる。」
- 前岳は、一ノ腰(1264m)と森吉神社の間にある峰をいう。真澄が記したとおり、モロビの香りは穢れを払い、魔除けの効力があると信じられていた。旅立ちの際は、モロビを燻して全身を浄め、旅の安全を祈願した。また阿仁マタギは、結婚式に出た後は、モロビを焚きお祓いしてから猟に出る。
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▲冠岩
- 森吉大権現・・・「中岳のくぼんだところに、高さ七ヒロばかりの塔の形をした天然の岩があった。石塔と呼んで人々は深く尊び・・・この石塔のもとに堂があり、石の薬師像をおいて、これを森吉大権現として崇め奉っている。・・・昔は麓に寺があったが、いまはただ森吉山竜淵寺という寺の名ばかりがわずかに残って、修験者の家で守り奉っている。」
- 森吉神社のご神体は、冠岩(山神様)である。かつてこのお堂は、山伏修験が別当を勤め、冠岩で山伏の修行「胎内潜り」を行っていたという。
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▲冠岩を横から眺めると、絵図と同じであることが分かる |
▲菅江真澄が描いた絵図「冠岩と森吉神社」 |
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- 大人、山人伝説
「前岳をはるばる峰の横道を伝って下った。この背後の方を黒倉といい、真木の茂る深山で、そこには妖怪がすむという。この国の人は、それをもっぱら大人(おおひと)と呼んでいる。山働きする人たちは、時折その姿を見ることがあるそうである。
ヒヒ・カモシカ・ヤマトト(山父)などの住むのをこういうのであろう。
・・・十年の昔、神主が鈴を振り、ハイマツの枝を踏みながら歩いているうちに、シャクを取り落とした。これを取ろうと装束を脱いで、一丈ばかりも松の下に分け下りると、古い折敷などがあるのを見た。
怪しんで、ここにはまさしく山人が住んでいるのかと、身の毛がよだつほど驚き、一言も口をきかずに山を急ぎ下りてから、このことを人に語ったという。」
森吉山には、神の花畑で「山人平」という地名がある。昔から、こうした大人、山人伝説が語り継がれていたのであろう。
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参 考 文 献 |
- 「花の百名山 登山ガイド上」(山と渓谷社)
- 「ぐるっと森吉山 改訂版」(宮野 貞壽、秋田魁新報社)
- 「森吉山麓 菅江真澄の旅」(建設省東北地方建設局森吉山ダム工事事務所)
- 「菅江真澄遊覧記」(内田 武志・宮本 常一、平凡社)
- ホームページ ぐるっと森吉山ポータルサイト(NPO森吉山ネイチャー協会)
- ホームページ 阿仁ゴンドラで行く、観る「森吉山紀行」
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