野鳥シリーズ③ カワセミ
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- 水辺の青い宝石・カワセミ(翡翠、ブッソウソウ目カワセミ科)
カワセミは、自然を愛する人たちの中で最も人気の高い鳥で、江戸時代の浮世絵にも描かれている。コバルト色の背と橙色の下面を持った、クチバシの大きな美しい小鳥。光線の具合によって、青にも緑にも輝くことから、「水辺の宝石」と讃えられる。動物カメラマン・嶋田忠さんは、その魅力について「生き物の魅力は大きさではない。カワセミ特有の色彩の煌めきとスピーディなハンティング」にあるという。全国に棲むが、北海道では夏鳥。低地から山地の河川や湖沼、市街地の池や河川など、水辺に棲息。離島では、海岸付近でも見られる。
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- 見分け方・・・スズメより少し大きく、体の割りに頭とクチバシが大きい。背はコバルト色、頭と翼は金属光沢のある緑色、目の下と胸から腹はオレンジ色の3色を基調とし、頭部や首には白色部もある美しい体色から、他の鳥と見間違うことはない。
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- ♂と♀の見分け方・・・♂と♀は、細長いクチバシの色で見分ける。♂は黒(上の写真)で、♀は下クチバシの基部が赤い。
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- 全長17cm、翼開長25cm。日本のカワセミ科の中では最も小さい。
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- 「野の鳥の生態」(仁部富之助) に記されたカワセミの方言「ザッコドリ」
「秋田地方では、一般にザッコドリと呼ぶ。これは雑魚(ザコ)、すなわち小魚を取る鳥の意味で、これらの名は、いずれも彼らが常に水辺にすみ、清澄な渓流や河川、湖沼で、盛んに小魚を捕食する習性からおこったのであろう。・・・彼らは生まれ落ちると、魚の餌で育てられ、魚を常食とし、わが子にもまた魚を与える。このように、カワセミは連綿たる魚の消費者であり、また漁師である。」
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- 翡翠、水辺の宝石・・・背中のブルーが美しく、「翡翠」「水辺の宝石」などと形容され、カワセミの虜になるファンが多い。首筋から尾にかけてはコバルトブルー、背や翼は角度によって鮮やかな緑色に見える。これは、色素による発色ではなく、羽毛にある微細な構造がつくるもので「構造色」と呼ばれている。例えば、コンパクトディスクやシャボン玉には、それ自身には色がついていないが、その微細な構造によって光が干渉するため、色づいて見えるのと同じ原理である。
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- カワセミに「翡翠」の文字が当てられたのは・・・500年前の室町時代。だから、宝石の「ヒスイ(翡翠)」という名称は、「カワセミの羽色にも似た美しい宝石」という意味から名付けられた。
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- 声・・・川面を「チィー」「ツピィー」という鋭い声を出して飛ぶことが多い。飛び立ち時にも鳴くが、2声か3声だけ。繁殖期には、木の枝にとまって「チィチィチィ」と小声で鳴き交わすことがある。
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- 生 活・・・川ではヤマセミより下流に棲息するが、一部棲息地が重なる。主食は3cm~5cmほどの小魚。細長いくちばしは、魚を捕らえるのに便利。主食は、フナ、モツゴ、トンボの幼虫・ヤゴ、エビ、ザリガニ、ドジョウなど。
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- 水面上に張り出した枝や岩などにとまって水中の獲物を狙い、直接または空中で停空飛翔してから急降下し、ダイビングして捕える。その際、クチバシで巧みに小魚を捕え、翼を使って浮上する。大きな獲物は、枝や岩に叩きつけて弱らせ、頭から呑み込む。不消化物の骨や鱗はペリットとして吐き出す。
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- ホバリングからダイビング・・・ヘリコプターのように空中で停止するホバリング状態からダイビングし、魚を捕らえることもある。
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- 水の抵抗が少ないクチバシと新幹線の先頭形状・・・細長く尖ったクチバシは、電光石火のごとく水中にダイビングしても、水の抵抗が少ない形状をしている。最高速度300kmを目指した新幹線の開発者は、騒音問題を解決するヒントとして、先頭形状をカワセミのクチバシのような形状が良いのではないかと考えたという。それを実証するため、大がかりな実験装置の測定と、スーパーコンピューターによる解析を行った結果、その形状はカワセミのクチバシに極めて近似し、開発者のひらめきが正しかったことが証明されたという。
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- 「野の鳥の生態」(仁部富之助) に記された漁労法
「カワセミが魚を取るときは、流れにのぞんだ木の枝や棒杭の頭などに静かにとまり、あの大きい嘴と鋭い眼で、一心に水を見つめる。そして水中に獲物を見つけると、電光石火の素早さで飛び込む・・・
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- ・・・見る間に小魚をくわえ、スイ、スイ、スイと凱歌を奏しにがら、どこかへ飛び去る。・・・
彼らの取る小魚の種類は、決して水中を泳ぎ回る、いわゆる浮遊性のものばかりではない。水底に横たわるドジョウや、石の間にひそむカジカ類のように、河底の色とまぎらわしい色の魚さえも見逃しはしない。さらに庭園の池の金魚を全滅させ、養魚池の稚魚をとらえて損害を与え、時としては、漁師の船の生け簀を狙うことさえあるといわれる。」
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- 求愛給餌
繁殖期には、つがいでナワバリを持ち、オスが捕えた小魚をメスにプレゼントする求愛給餌が見られる。巣穴は、水辺の切リ立った崖の上部・・・天敵であるヘビやイタチ、キツネなどに襲撃を受けない場所であること、川の増水時に水没しない高さであること、近くに小魚や水生動物などのエサが豊富な水辺であることなどの条件を満たす場所に営巣する。巣穴は、主にオスが掘り、仕上げはメスが掘る。その際、口も羽も泥まみれになるので、その汚れを落とすため頻繁に水浴びをする。産卵期は3~8月、卵の数は4~7個、抱卵日数は約19~21日。
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- 魚を捕獲すると、枝や石の上に戻って、獲物をくわえ直し、頭から呑み込む。
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- 「野の鳥の生態」(仁部富之助) ・・・意外な観察記録「だらしない産室」
「育雛期の巣の観察窓を開くごとに、われわれの第一に感ずるものは、耐え難い悪臭である。秋田の一部地方で、彼らをクサンポドリと呼ぶが、これはもとよりこの悪臭からきている。・・・この悪臭はもちろん雛の体臭ではなく、雛の糞や、吐出物から発散するガスである。
・・・鳥類は一般に潔癖家ぞろいである。だから、あの綺羅をまとう美貌のカワセミ夫婦が、俗世間と隔絶する地中の殿堂にすみながら、わが子の吐出物を産室内に放置し、糞を垂れ流しにさせるような、だらしのない一面のあることは、いささか意外である。」
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- ハンティングの成功率70%以上
「清流の名ハンター」と呼ばれるとおり、ハンティングの成功率は70%を超える。子育てはペアで行うが、オスの方が活発にエサを運ぶ。1日ヒナに運ぶエサの数は、何と40~50匹にも及ぶ。名ハンターとは言え、時には連続して失敗したり、せっかく捕まえたエサを落としてしまったり、サイズがでかく重すぎると魚をくわえたまま止まり木に止まれず落ちることもある。何ともユニークである。
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- 巣立ちの時、親はエサをくわえたまま巣には入らず、ヒナが巣から出てくるのを待つ。すると、巣穴から出て、近くの枝に止まる。親は、すぐにエサを与えず、さらに遠くへ飛んで枝に止まる。子どもは、親の所まで飛んでいかないとエサにありつけない。こうして巣立ちを促す。
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- 「野の鳥の生態」(仁部富之助) に記された「雄親の親切」
「恋愛期の・・・雄親は歓喜の絶頂で、素晴らしい働きをみせるのであった。雌親は、遠出を避けて・・・時々巣に入って内部を調べ、夫の帰りを待ちわびるように、チ、チ、チと鳴き、しごくなごやかな態度である。が、雌親とは反対に雄親の活動は目まぐるしく、彼は雌にかわって巣に入るかとみれば、すぐに遠くへ飛び去って、小魚をくわえてきては女房に与える。与え終わると巣に飛び込むことしばし、巣から出ては雌に近づいて交わり、すぐに漁に出掛けるなど、一刻もじっとしていない。」
オスは、メスに献身的に尽くすが、抱卵期に入ると一転、メスがオスに近寄ってご馳走をねだっても、応じる様子はなかった。「あれほどの親切も、恋愛期だけとずいぶん虫のいいカカア孝行である。」
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- 宮沢賢治「やまなし」に描かれたカワセミの抜粋
『お魚は……。』
その時です。にわかに天井に白い泡がたって、青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾のようなものが、いきなり飛込んで来ました。
兄さんの蟹ははっきりとその青いもののさきがコンパスのように黒く尖っているのも見ました。と思ううちに、魚の白い腹がぎらっと光って一ぺんひるがえり、上の方へのぼったようでしたが、それっきりもう青いものも魚のかたちも見えず光の黄金の網はゆらゆらゆれ、泡はつぶつぶ流れました。
二疋はまるで声も出ず居すくまってしまいました。・・・
『お父さん、いまおかしなものが来たよ。』
『どんなもんだ。』
『青くてね、光るんだよ。はじがこんなに黒く尖ってるの。それが来たらお魚が上へのぼって行ったよ。』
『そいつの眼が赤かったかい。』
『わからない。』
『ふうん。しかし、そいつは鳥だよ。かわせみと云うんだ。大丈夫だ、安心しろ。おれたちはかまわないんだから。』
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- 正岡子規の俳句「カワセミ」
古池や翡翠去って魚浮ぶ
川せみや柳静かに池深し
翡翠や水澄んで池の魚探し
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- カワセミの観察・撮影
カワセミの観察・撮影に適している場所は、大きな池や堀のある公園、川の支流が本流と合流する付近・・・秋田県内では、米代川・長木川合流点、鷹巣中央公園、小友沼、八郎潟承水路、大滝山の渓流、旭川治水ダムの貯水池、雄物川河口、由利本荘市大堤、真昼川、横手川・西沼など。比較的警戒心の強い鳥のため、不要なストレスを与えず観察・撮影するためには、ブラインドが必需品である。
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- 参考・・・秋田が生んだ「鳥のファーブル・仁部富之助」(写真:秋田県環境と文化のむら)
1882年(明治15年)、由利本荘市岩城に生まれる。彼は、大仙市を流れる玉川と雄物川の合流点にある中州をフィールドとして野鳥観察を開始。1914年から始まった「野鳥日誌」は、1945年まで30余年にわたって綴られ、この膨大な研究資料は、鳥獣関係の学会誌に調査報告書として発表された。また1936年、日本で初めての鳥類生態誌「野の鳥の生態」が単行本として出版されて絶賛を受け、「鳥のファーブル」と尊称されている。
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参 考 文 献 |
- 「山渓カラー名鑑 日本の野鳥」(山と渓谷社)
- 「身近な鳥のふしぎ」(細川博昭、ソフトバンククリエイティブ)
- 「野鳥観察図鑑」(杉坂学、成美堂出版)
- 「ぱっと見分け 観察を楽しむ 野鳥図鑑」(石田光史、ナツメ社)
- 「あきた探鳥ガイド」(日本野鳥の会秋田県支部編、無明舎出版)
- 「秘伝! 野鳥撮影術」(文一総合出版)
- NHK-BS「清流のハンター カワセミを追う」(動物カメラマン・嶋田忠)
- 「野の鳥の生態」(仁部富之助、大修館書店)
- 青空文庫 宮沢賢治「やまなし」
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